どうでもいい話

明日が見える鏡があれば、のぞくかのぞくまいか迷っている間に明日になる。

そんな自分に対する優しさを…

そんな他人に対する慈しみを…

そんな世界に対する思いやりを持って生きたい…

そんなことを3秒程度慮りながらのぞく人間です。

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おひさし

なんというか、mixiに乗り換えているのです。
滞っているのはそういうことなのです。

どうも

僕は芸術が好きだ。

おたまじゃくしよりも少し好きなぐらいだから、たいしたもの。


そんなわけで、昨日美術館にいってきました。

この美術館は徳島、いや四国でも最高級のもの。

僕が四国の美術館を3つとして回っていないことは気にしないでください。


その美術館は、大塚製薬(徳島が誇れる数少ない大企業)が税金対策のためにつくったそうで(巷間のうわさ)、その名も


大塚国際美術館。



気になる方はLet’s検索。もしみなさんが徳島にくることがあれば、僕がじきじきに連れて行ってあげます。


そういうイベントがないとなかなかいけないんです。

それは僕が怠惰だからとかではなくて、もっとプリミティブな問題。

そう、入館料が高い。きわめてシンプル。


大人は3150円です。

ブルジョアジーになればへのツッパリでもないのでしょうが、僕にはつらいのです。

しかし、いつかはきっと


「3150円!? おいおいこんなゴキゲンなアートをチョモランマが埋まるほどに飾ってある美術館がそんなに安くていいのかい? オレっちのペットの一日分の食費にもなりゃしないぜ! Mercy!」


と受付で言ってひんしゅくを買ってみせます。




閑話休題。


というわけで、大塚国際に行きました。僕、SB君、I君、のめっこ、けんちゃんという豪華キャスティングです。

彼らを知らない方々(大多数)に軽く説明しますと、SB君、I君、のめっこは仕事場の同期、けんちゃんは高校時代からの友人です。


もともとは僕とけんちゃんで行く予定でした。どちらも芸術は大好き。

みんなと話をしているうちに、I君、のめっこが乗ってきました。彼らはまあまあ好き。

当日、のめっこが半ば無理やりSB君を誘いました。彼は興味なし。




そんなメンツで行ったものだから、そりゃあ多少の不具合はあります。


基本的に美術館等はみなで歩調を合わせる必要なんてございません。自論ですが。


だから、僕はけんちゃんと二人でゆっくり堪能していました。

SB君、I君、のめっこは三人で鑑賞していました。



大塚国際はとんでもなく広いです。全てをつぶさに見ようと思えば丸一日はかかります。


ところが。


僕たちがまだまだ見終わっていないときに、SB君からメールが入りました。


「おれらもう見終わったけん、バルコニーでぐだぐだしとく」




そりゃあ、僕たち二人は驚愕です。そんなスピードで見回れるものか。


車一台できているので、帰りは合わす必要があります。

僕たちは精神的にあせらされる境遇になってしまいました。




今日言いたいのは、


「美術館は興味のある人とだけ行く、もしくは一人でいく」


です。



このわだかまりはどこにぶつけよう。

素敵なあの子にぶつけよう。





おおひさしぶり

一体何日ブログと離れていたかはさだかではないが、今日こっそり更新。



さて、なぜ僕の筆が滞っていたかというと、単にめんどうくさかったからだ。



基本的に僕は飽きっぽいし、しめっぽいから、一度休み始めると再開するのが相当億劫。



昔から部活動の類は嫌いだった。

つまりは決まった日に行動をするのが嫌いだった。

仕事場では、僕の同期の子がフットサルサークルを立ち上げ、当初は僕も創立メンバーだった。

案の定、毎週水曜日にフットサルをやる、というマニュフェストに耐えられず、

「腰痛がひどくて」という呪文を唱えて、最近はとんとごぶさただ。



しかし、実際九月の初めにぎっくり腰になったのです。

だからいいんです。



そういえば危険物甲種の資格は取れました。

よかったよかった。

でも本当に欲しいのは環境計量士なんだよな…。



この間の「ガキのつかい」は面白かったですね。

ダウンタウンはやっぱり素敵です。



…ああ、文章が奔放だ。



そんなわけで。今日からは少し気持ちを入れ替えて精進しようかなぁと思っています。

とりあえず自問自答して心を澄ませてみたいと思います。



Q:何を精進するのですか? 



A:…さあ。

 精進なんてものは抽象的にすればいいんじゃないでしょうか。



Q:精進するといいことがあるのでしょうか?



A:…さあ。

 しなくたって人並みにいいことはあるでしょうよ。



Q:しなければ今までと変わりませんよ?



A:…さあ。

 変わるかもしれないでしょう。それに今までって何ですか? いつからいつまでですか? 生まれたときからずっとですか?



Q:今までといえば一般的な「今まで」ですよ。違いますか?



A:きわめて違いますね。たとえば高校時代と大学時代を切り取って考えれば、前者のほうが明らかにスマートに生きていました。ですから、高校時代と大学時代を通して「今まで」という考え方はナンセンスです。



Q:屁理屈ばっかりこねないでください。じゃあこうしましょう。最近一年を今までと定義しましょう。それで質問に答えてください。



A:最近一年ですか…。ああ、まま充実してました。だから別にこのままでいいです。どんどんいっちまってください。



Q:それでいいんですか? 何も変わりませんよ。



A:いいことも増えなければ、悪いことも増えない。限りなくスムージングされた生活を望みます。



Q:それで成長していけるのですか?



A:僕の考える成長というのは、失敗に学ぶことです。イマジンしてください。人生を道だとすると、失敗は袋小路とみなせます。そこでいかにリターンできるかで、成長の度合いがわかります。最初は袋小路でもつっきっていこうとするかもしれません。しかし、最終的にはすんなり戻るほうがよかったことに気づきます。その判断がいかに的確にできるか、が成長していることだと思います。



Q:壁をブレイクスルーしていくことも重要では?



A:それは確率論です。ブレイクスルーして何が得られるかは誰にもわかりません。鬼や蛇が住む世界かもしれません。あなおそろしや。







……なんて、久しぶりだからよくわからないまま終わります。


そのうちカンも取り戻すでしょう。


…とかいいながら、また2ヶ月空いたりするのかも…。



The answer, my friend, is blowin' in the wind.




すっかりごぶさたになっていた。

あのときひっかいた傷は

すっかりかさぶたになっていた。



しょうもないジョークが言えるというのは、いい傾向にむかっている証拠だ。

いい傾向というのがどういった状態を指すのやら、あなたも私もさっぱりわからないが、そういうものだ。



これといって話すこともないので、今日は「殺人」について考えてみたい。

そんなダークなことを思いつきつつも、今日の夕飯はナニにしようと3秒おきに考えられる。

人間とは矛盾をはらんだ皮肉な生き物だ。



さて「殺人」についてだが、今日はその是非を考えたいと思う。

「明らかに非だろう!」

という声が聞こえてきそうだが、もう一度よーく考えて欲しい。



小学生や中学生のときの道徳の時間にこんな話はでなかっただろうか。


「先生、なぜ人を殺してはいけないのですか?」


その理由を快刀乱麻で答えられる先生はいただろうか?

私が教わったのは、

「人は生きなければいけないのです。だから殺してはいけないのです」

という文句だった。


そのときはペーペーの子供だったので、「なるほど納得!」と思っていたが、今よくよく考えるとなにかおかしい。そもそも答えになっていない。はぐらかしているだけだ。

なぜならば、「殺してはいけない」と「生きなければいけない」というのは同義であって、両者の成立意義は同じであるからだ。「生きなければいけない」という命題を絶対則だと思わすことで切り抜けている。しかし、それは絶対則ではない。


もし、ここでもう一段階つっこんで、


「ではなぜ生きなければならないのですか?」


と質すれば、答えられないのではないだろうか。




「生きることに意味なんてない」

とニヒルに言い切る人もいれば、

「あなたには使命がある。そのために生きているのです」

と受け止める人もいる。



当然ながらどちらが正しいかというのはわからない。

「生きる意味」など誰が証明できる?




「殺人」の是非を、「生きる意味」の是非に置き換えて裏から考察してみたが、どうやらつまづいた。

では初心に戻り、「殺人」の是非を直接的に考えたいと思う。



「殺人はいけない」という人のなかに、こういう人がいる。


「殺人を犯すと罰せられる。ということはいけないということだ」


おそらくその考えは間違えている。

なぜなら、初めて殺人がおきたときと、初めて殺人に対する罰が制定されたときというのは、明らかに前者が先であるからだ。



殺人はいけない → 罰を設ける


であって


罰がある → 殺人はいけない


ではないからだ。



ではなぜ殺人はいけないと考えられたのであろう。


……長くなりそうなので、次回。


最近の身体的状況

気がつけば、明日はバレー大会の決勝戦。



しかし「種田山頭火のような句だなぁ」と一人で悦に入る余裕はある。

そもそもこのバレー大会は職場のレクレーションのようなものなのだ(と私は認識している)。


ところがどっこい大相撲、私の所属の皆様方はえらく本気である。

今年は優勝だ! という声がシュプレヒコールのごとく聞こえる。

今日も体育館を借りての練習が行われようとしている。

みんなが今夜も私のつきゆびを再発させようとしている。


ナニに対しても真剣に取り組む姿勢というのは確かに重要だ。

しかし、楽しければそれでいいと思う、私のような穏便派はどうしたらいいのだろうか。


たとえ負けたとしても


「何度でもよみがえるさ!」


と叫んで笑えばいい。


幾人がこのネタに気づくかはともかく。






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