TBの利便性についてはいうまでも無い | どうでもいい話

TBの利便性についてはいうまでも無い

幸せになるために

 

僕らは何ができるだろう

 

僕は何ができるだろう

 

うん

 

もうしてるんだ

 

だって

 

不幸せになるために何かをするなんてことは

 

ないから

 

 

 

どうもこんにちは。今日は特に書くことが見つからないので、TBしますね。コンプレさんの夢と幸せについての考察に関連付けたいと思います。

 

 

彼と同じく、僕もこれといって「夢」のある人間ではございません。昔からそうでした。

よく言えば「多くを望まず、今あるものに感謝して生きる」という状態。

 

まあ悪く言えば「単なるなまけもの」ですが。

 

 

どちらの言葉が実際の僕を表しているかはみなさんの観察次第。

 

おそらく8割方前者かな? ふむ。

 

 

そんなレイジーボーイ……もとい現実主義の僕にも希望がありました。

それは「幸せに生きる」です。

 

 

森博嗣さんは

夢   ………  現実に起こりうる可能性のないもの

希望 ………  現実に起こりうる可能性のあるもの

 

という使い分けをしておられました。

 

 

だから僕は先ほど「希望」という言葉を使ったのですが、正味の話「幸せに生きる」というのは難しいです。波のたたない人生なんかあるわけがないのだから。

 

 

だけれど、あくまで「希望」。「夢」ではありません。

 

 

 

そもそもシアワセとは?

 

コンプレさんのおっしゃるとおり満ち足りた状態?

 

うん。そうだと思います。

 

 

そしてその価値観が全て主観的に決められるのも事実。

 

 

 

だとすると。

 

「幸せ」の有りようというのは、全て主観的で恣意的。

 

 

ポジティブシンキングな人は常にシアワセなことが多く、ネガティブに落ち込む人はフシアワセが多い。

 

 

 

以前「世界一受けたい授業」という番組でミワアキヒロが講師で出ていました。彼がなにについて講義したかといいますと「正負の法則」についてです。

 

なんのことやらわからないかもしれませんが、どうやら「人生ではシアワセとフシアワセの量がつりあうようにできている」という法則だそうです。

 

それまでの講師が科学的、学術的な内容だっただけに僕は面食らいました。

 

なんじゃこの胡散臭い話は……と。

 

 

みなさんはどう感じます? 

 

僕はいまだに胡散臭いと思います。ぴゅーっと吹くジャガーという漫画にも「インチキ」という似たような人がいました。ああ、そういえばドラえもんの道具にもありましたね。

 

ただ、シアワセを測定する方法なんてありませんので、一概に「そんなわけない」と言い切れないところがありまして、快刀乱麻とはいけません。だからとりあえず「胡散臭い」にとどめています。

 

 

幸せにつきましては昔から様々に捕らえられていたのでしょう、それに関することわざがたくさんあることが何よりの証拠です。

 

例えば「人間万事塞翁が馬」。これが一番知られているでしょう。おそらく。

人の禍福は予想がつかない、という意味です。多少プッシュが足りない気がします。シアワセは運任せ、と捕らえている感じがします。

 

他には「禍福はあざなえる縄の如し」。

ワザワイの後にはフクがくるし、フクのあとにはワザワイさ、という意味で、先ほどの胡散臭い理論と似ています。

 

僕の考えと一番近いのは「禍を転じて福となす」です。

ピンチをチャンスに変えろ! ということです。非常に主体的で、いいんじゃないでしょうか。

 

 

 

とまあ、尊大にもことわざの評論をしてみました。これらのことわざについて、僕と同じイメージがわいた! という人は素敵です。気が合います。なんなら液晶画面越しに手を振ります。

 

最後に「シアワセに生きる」を目標に掲げている、僕の考えるシアワセについて話したいと思います。

 

シアワセ…それはきっとコミュニケーションの中にあります。僕は一人でシアワセを感じられない。友達、家族といったコミューンの中でいることが大前提。そしてそういったコンパニオンと会話をしたり、遊んだりすること…それが僕のシアワセです。