長いモノローグ | どうでもいい話

長いモノローグ

「たで食う虫も好き好き」

 

「十人十色」

 

間違いない。

 

間違いないのだ。

 

 

 

張り切ってどうも、y-yです。

最近思うことの一つに、ことわざって正鵠を射ているなぁ、というのがあります。

 

冒頭のものはどちらも、人の好みは様々だという意味です。

 

そして、ここで僕が取り上げたいのは、主に人と人の間に発生する好みです。

 

 

ざっくばらんに言うと、顔や性格の好き好きについての話です。

 

 

 

第一部 ジョナサンジョースター

 

……じゃない、第一部 顔

 

 

さて、そもそも顔のタイプというのはなんなんでしょう。気に入る顔と気に入らない顔の判断はどこでしているのでしょう。

 

顔なんて関係ないさ、性格さ。とおっしゃる方もおられるでしょうが、全く見ず知らずの他人の写真を10枚程度並べて「誰がお好み?」と言われれば答えられるでしょう。たとえ性格を知らなくとも。

 

あばたもえくぼ、と言われるように(またことわざですが)、好きになってしまえば顔は特に関係ないかもしれませんが、現実において明らかに顔の好みは存在すると言ってもよいでしょう。

 

ではその仮定を採択しますと、次なる問題が出てきます。

 

ずばり、タイプを左右するファクターとは? 

 

 

ところで、みなさん、こんな話をしたことはないでしょうか? 

「今日、7組のH子から告白されてさ~。よわっちゃってんだよ」

「まじかよ! H子って相当可愛いじゃん! 弱ることなんてないだろ!」

「いやいや、実はK子からも告られてんだよ、俺」

「え~! K子もたいがい可愛いぞ! なんだよそれ! 俺なんてここ3年音沙汰なしだ!」

「そんなに興奮するなよ。俺、お前がスキだ、って奴しってるぜ?」

「ヘイ! 畜生、なんてこった! なんでもっと早く教えない?!」

「悪い悪い、単純に忘れてた。今思い出した。それが僕の全て」

「黙れチンピラ! ねえ、ところでだれですか? 僕が好きって子は? ふふふ」

「はいはい、N美だよ。N美」

「……N美…か」

「どうした? 何か問題でも?」

「いや、その、なんだ、あいつ平安時代だったらもてそうだよな…」

 

 

非常に例えが悪いのですが、ご勘弁を。

 

つまり、美人や美男というのは絶対的じゃないということです。流行と同じくして、はやりすたりがあります。

 

そういう研究をしている人が言うには、「美人、美男というのは、その時代で一番標準的な顔」ということです。

 

そうだとすると…美人、美男は絶対数が一番大きな集団のはず。じゃあランダムに10人程度人を集めると3,4人はいるはず。

 

みなさんどう思います? 

 

 

経験的には否、だと僕は思います。まあ、僕の美的感覚がずれているだけかもしれませんが。

 

 

ということで、僕はその研究者の意見をこう解釈しました。

 

 

「美人、美男とは、個人的にもっとも慣れている顔の傾向」

 

先ほどの意見とナニが違うかと言いますと、時代を鳥瞰的にとらえているのではなく、個々人の目線から捕らえているところです。

 

 

つまり、絶対的に存在する様々な集団に対し、ある個人が「実際に見た」という縛りがかかっている状態です。

 

こうすることにより、隔たりが生まれます。

 

なぜか?

 

それはマスメディアの存在です。

 

 

TVの中では連日連夜、芸能人が出演しお茶の間をにぎわしています。

そのような状況が家庭にあると、子供たちは昼間同級生と顔を合わし、夜はTVの向こうの芸能人等と対峙します。

 

さて、この場合最頻出の顔のタイプとはいかなるものでしょう? 

 

 

それはおそらく芸能人的な顔。

それと親の顔。

 

 

だから、僕の中では人は「芸能人的な顔」や「親の顔」に似た人を好きになるのではないだろうか、と一応結論付けています。マザコンファザコンはそんなに不思議じゃない、かも。

 

 

さて、次に考えるべきは

 

「なぜ最頻出の顔を好きになるか」

 

ということです。

 

これについても、僕なりの見解を示します。

 

 

絶対数が多いということは、生物的に優性ということだから、子孫繁栄の本能が働くのではないでしょうか? その本能を大脳新皮質と道徳は「好き」と言わしめ、「本能でうごく動物とは違う」とアピールしているのではないでしょうか? 

 

そうだとすると、「好き」だの「愛」だのといった個々人の感情の背後には、「人類」という恐ろしくも巨大な意思が働いているのです。

 

また、我々を操る「人類の繁栄」とはなにか? 

 

それは「破滅」です。

 

エントロピーは決して小さくならない。煩雑さは増大の一途。

「人類の繁栄」とは他種に対する暴力的なほどの一元支配。

種は現在においてもどんどん減少しています。ドードー鳥、モア、ニホントキ。

複雑さが増大するだけの世界なのに、人類というたった一種が大きくなり、他の種が消えていく。

エントロピーは小さくなっている。

小さくなってきている。

 

そして、その不自然な状態はいつか「破滅」を引き起こす。

 

 

 

 

 

誰かが誰かを愛したとき、それは破滅に一歩近づいたということなんですよ…。ふふふ。

 

 

性格についてはまたのちほど。

 

 

今日はなんだかダークですね。

 

たまにこんなことを妄想します。

 

いや、妄想という言い方はおかしいか。

 

僕はいまある条件から結果を導き出したので…(妄想は原因と結果という前後のつながりが希薄)。

 

 

推理です。