文体を変えてみたのだけれどいかがだろうか。 | どうでもいい話

文体を変えてみたのだけれどいかがだろうか。

人間は何もしないと何もできなくなることに気がついた。

昨日のことだ。

私は現在一軒家を借りて3人でシェアリングしているのだが、ほとんど家事はしていない。

同居しているのはYAMATOという大学生とアロエスミスという大学院生なのだが、後者のアロエは料理が得意である。

そのような事実から導かれる答えはただ一つ、食事係の丸投げである。

そして、アロエは現在就職活動中であり大学から離れている。とりもなおさず暇な時間が多いわけだ。

しかし、我らは仕事や大学という国民の義務を果たしているため、日の高いうちは家にいないことが多い。

アロエは誰もいない家で一人、そうするとフリータイムにやることは限られてくる。

そう掃除、洗濯だ。

私は無理強いしているわけではない。本当にやることがないのだ。本意をあらためたことはないがそうに違いない。そうであって欲しい。おそらく……そうだろう。

もし何かしらの強迫観念から家事をしているのならば一言願う。私とて前向きに検討するポーズをとることぐらいはできる。

こうして今の私の状態をかんがみてみると、いかに何もしていないかということが、鋭い人にはおわかりだろう。

昨日、アロエから仕事中にこんなメールが入った。

「(省略)……今日はオヤジと食いにいくので、君らのメシを作っておきます~。鍋の中身をあたためて、ゴハンにかければ完成! ……(省略)」

「なるほどなるほど、それは結構だ。親子の絆を深めてくるがいい。なあに私はどうにでも生きていけるさ」と思っていた。

そしていざ家に帰ると、確かに鍋に何かが入っており、炊飯器にはご飯が鎮座していた。

さてではいただきます、と思った瞬間、ある思いが私の脳内を奇跡のごとく駆け巡った。

…鍋をあたためる? …そんなことできるだろうか? …どうやるんだ?

私の名誉のために付け加えるが、このように感じたのはほんの一瞬だ。1秒後にはちゃあんとガスコンロに火がともっていた。

そして支障のないように言っておくが、私は料理をしたことがない良家の坊ちゃんでもなんでもない。大学時代もちゃんと自炊をしていた。

しかし刹那的にそう感じたのはまぎれもない事実である。

みなさんも一日でいいので、普段の生活の何気ない動作に気をつけてみて欲しい。きっと一度ぐらい昨日の私のような状況があるかと思う。

…ないか。