どうでもいい話 -9ページ目

あれ、毎日書けてないなぁ

今日は四人で歓談しました。さあ、この四人とはどんなメンバーでしょうか?

(1)僕、友達×3
(2)僕、兄弟×3
(3)僕、ピーター、ポール、&マリー
(4)僕、あんぱん、しょくぱん、かれーぱん
(5)僕とその他の人格
(6)僕、祖母、祖母の妹、祖母の妹の夫の妹
(7)僕、アトス、ポルトス、アラニス

…考え中、考え中、考え中…終わり

ではトカシキ君の答えを見てみましょう!


そんなことはどうでもいいや。答えは(6)です。僕との関係を見ればわかるように、えらく平均年齢が高いところに居ました。

昨日、祖母が祖母の妹に渡すものがあるから連れて行ってくれ、との意向を受けまして今日の朝眠い目をこすりながら出かけました。祖母の妹の家は車で10分程度のところにあるのでちょっとしたドライブ気分のつもりでした。

しかし、祖母の妹の家でなんだかんだ話しているうちに3時間が過ぎ、結構なドライブといわざるを得なくなりました。

僕が少し驚いたのは、祖母が妹に渡すものが「空き瓶」だったことです。どうやら祖母の妹(面倒くさくなってきたのでこれからは大叔母さんという表記に変えます)は瓶が好きなようです。大叔母さんはジャムを作って近所に配ったりするそうですが、そのときにも瓶は大活躍です。しかし、彼女はすこし残念そうな顔をしてこういいました。

「ジャムをあげるときに瓶もあげてしまうんが惜しいてなぁ…」

僕は瓶に思い入れがないので、ただ大爆笑しました。ここ数日で一番面白かったことは間違いない。

なにはともあれ、この会談は面白いものでした。お年寄りは使用する語彙が僕とは違いますので、いい頭の刺激になるんですよこれが。

あとどうでもいいですけれど、僕のカーブがストライクゾーンに入りません。どうにかしてください。

自由は不自由を含んでいる

どうも。一人でも くじけることなく 遊ぶんだ の僕です。

実家に帰ったものの、遊ぶ相手がおらず一抹の悲しさを覚えているところです。弟はまだ学校があるし、もう一人の弟は大学に帰ったし、親しい友達はまだ四国に帰ってきていないし。

まあ、そんなわけで一人キャッチボールをしています。この間の台風で隣家のがけが崩れまして、道路がふさがっているのです。普通に考えたならばよいとは言えない状況なのですが、そのお陰で道路を自由に使えるのです。車が来ませんから。

我が家の周囲の構造をご存知の方ならばどういう事になっているかお分かりでしょう。今度見に来て御覧なさい。びっくりしますから。

そんなこんなでキャッチボール(壁あて)に興じています。明日からはスカッシュをやるつもりです。偶然にもラケットとボールが在ったので、この衝動は止められません。一日一善のアノ人の衝動ぐらい止められません。

実を言うとテニスは一度もやったことがありません。なので誰か打ち方を教えてくれないかなぁと思う今日この頃弥生十四日の宵口です。

話は変わりますけれど、今日はホワイトデーでしたね。バレンタインデーの際はどうでもいい計算をやって、調子に乗っていましたが、結局ガットしたのは一つでした。

今ドラクエⅢに夢中になっているアノ子に何かお返しをせねば…うーむ。…先月はありがとうございました。今の時点ではそれぐらいしか言えませんや。また今度。

ああ、そうだ。今日はパイの日でもあるそうですよ。僕はこういう下らない駄洒落の記念日が割合好きです。直球勝負でいいじゃないですか。対して洒落は変化球なので、受け取る側にも技術が要ります。捕手にセンスがないと投手まで責めかねられません。

これを受けて今日は駄洒落で締めますかね。

水戸光圀公が助さんに聞きました。
「助さんや、ここはもう奈良ですかな?」
「左様、奈良です」


皆様サヨウナラです。

もしもピアノが弾けたなら

今日は四国でも雪が降りました。そして強風。とりもなおさずやるせない。

そんな気分ですが、僕は先ほどまでピアノを練習していました。

なぜって?

ドラクエを弾きたいと思ったからです。

この動機は浅いようで深いのです。

なぜ僕はそのように感じたのでしょう? そのあたりを考えるとディープです。

かっこいいから? 何に対してかっこいい? ピアノを弾けること自体かっこいい? ピアノでドラクエを弾くことがかっこいい? なぜかっこよさを求める? それともネタになるから? 

よくわかりません。

「ネタになりそうだから~してみた」

これはどういう心境なのでしょうか。その行為、物体がネタになると何かいいことがあるのでしょうか。

おそらくコミュニケーションの問題だと僕は思います。他人とのふれあいを円滑に進めるためにネタを欲しがっているのでしょう。

しかしここで一つの問題が出てきます。自己満足というやつです。100%の自己満足は無いと思いますけれど、いくらかの割合では存在するでしょう。

自己満足、それはどういう心境なのでしょう。

いつかその知識なり技術が役に立つから? ひそかに役に立たせようとしている?

でもそれでは自己満足とは言えないかな。何にも役に立たないというニュアンスを含んでいる感じを受けるからです。僕の場合ですけれど。

まあいいや。それよりピアノを練習しよう。

というわけでさようなら。

生きているということ

お久しぶりです。このブログの更新を待ち望んでいた人が何人いるか知りませんが、往年の名選手が現役復帰した気分が少しわかったような気がします。あくまで気がするだけですが。

さて今日は久し振りなので、へビィな話題でもしてみようかなと思います。ヘビィといっても重苦しくなるような告白等ではなく、コンピュータ用語的な意味です。つまり、考え出すと頭の容量を食うテーマ、ということです。

「生」について考えましょう。機先をせいしておきますが「なま」ではありません「せい」です。

この間「生きている」という状態の定義は? ということについて思いをめぐらせました。なぜそんなことを考えたか? 発端はお台場にあるソニーの科学ミュージアムで見た「自分で充電を行う小さなロボット」でした。そのロボは直径30cm程度の球状で、ころころと適当に動きます。そして前述したとおり、電池残量が切れ掛かると充電器のところにいきパワーを補給します。

どう思います? 僕はこいつを見たとき

「ああこれは生きているんじゃないかなぁ」

と思いました。

なぜなら僕の中での「生きている」の定義は「活動するために自らエネルギーを補給すること」だからです。人間しかり植物しかり。そしてロボットしかり。

ミュージアムからの帰り道、このロボが生きているかいないかで、S嬢とディベートをしました。S嬢は「生きていない派」だったので、なかなか白熱したバトルでした。

彼女の言い分はこうです。
●このロボはただプログラムにのっとって行動しているだけでは。
●考えてこそ生きていると言えるのでは。

僕の反駁。
●ロボにとってのプログラムというのは人間にとっての本能では。
●考えるという行動は、非常に複雑なフローチャートとみなせる。このロボも今は「生きるために生きている」という原始的な状態ではあるが、フローチャートを組めば考えることはできるのでは。考えてこそ生きていると言うが、では一般的に生きているとみなされるアメーバや細胞等は考えているのか。

S嬢の答え。
●アメーバや細胞は本能で生きている。

僕の質問。
●ではこのロボットも「エネルギー補給を行うという本能」をもって行動しているので、生きているとみなしてもよいのでは。

S嬢の意見。
●いや、自分が生きるという本能を持つだけではダメだ。種族の繁栄をもたらす本能はいかに。つまり増殖を行えるのか。

僕の回答。
●このロボだけでは行えない。増殖を行うためにはコンプレックスな機構を要する。彼は人間で言うと一つの細胞であり、単純作業しか出来ない。

S嬢のまとめ。
●では生きているとはいえない。

僕のまとめ。
●彼らのようなものがたくさん集まれば、人間とまったく同じ構造をとることができると考える。スケールは非常に大きくはなるが、増殖も可能だ。そのように考えると工場は消化器官とも見える。なぜなら原材料を加工し作りかえるところだからだ。工場を建設するための部品を製造している工場は子宮とも見える。つまり工場は生きている。それを構成するものも生きている。あのボールロボも生きている。

S嬢の総括。
●じゃあ生きているでいいじゃない。ね。


このやりとりのあともずっと考えていましたが、やっぱりあいつは生きているのですよ。きっと。

皆様もお台場に行かれた際は是非お立ち寄りを。

仙台でのラストブログ

2005年2月28日です。いいですか、2005年の2月はもう永遠にやってこないのですよ? それをよく考えて今日を過してください。それを考えた上でぐだぐだするのはOKです。結局自分にとって暦に重要性を感じれるか否かです。

というわけで今日は研究室で机の整理をしています。結構いろいろ物があって大変でした。それもなんとか終わり、今はだらだらと文を書いています。

ちなみに今日パソコンをアパートに持って帰るので、このブログはしばらく更新できません。おそらく僕が実家に帰る3月11日まで。

だから今日は仙台での思い出でも語りましょうか。別にハンカチを用意する必要はありません。すぐ終わるし、他愛の無い話です。

僕はこの4年間でとにかく本を読みました。おそらく、大学に入って一番よかったことは本がたくさん読めたことです。アパートの一人暮らしって暇ですので、読書以外にやることがないのです。

…まあそんなところですかね。4年生になってからは暇があまりとれなくなりましたが、2週間に5冊程度は読みました。

これからは小説ではなくもう少し実学的な本を読みたいと思います。

思い出はそんなものでしょうか。

そりゃあ本以外の思い出もありますよ。でも言いません。

片付けの続きをするのでこの辺で。