どうでもいい話 -15ページ目

そうなのか…。不勉強でした…。

最近知ったのですが、Satisfactionという歌のフレーズで

「I can’t get no satisfaction」

という部分があり、その和訳が

「満足できねぇ!」

らしいのです。…うーんなぜなのでしょう? noじゃなくてanyなら分かるのですが。

僕みたいに馬鹿正直に訳していくと

「満足できない、なんてことはない」

となりますよね。どこかマッキーの歌みたいですが。

よくわからないので「英語にはそういう表現もあるんだなぁ」ということで落ち着きました。二重否定で強い否定。

そういえば以前「ボブディランの生涯」という本を読んでいたときに、

「ボブはこのような二重の否定や最後まで言い切らない表現を好んで使った」

みたいな文があった気がします。あくまで気がするだけですけれど。ちなみに最後まで言い切らない表現というのは「風に吹かれて」等でも見受けられます。「and」を「’n’」、「blowing」を「blowin’」といったものです。

なにが言いたいかというと、英語は難しいってことです。

英語といえば昨日、外国人の牧師さんがアパートに来ました。仙台は昨日豪雪でしたので、ドアを開けたまま対峙するのはつらかったのですが、30分ほど話を聞きました。
ジョセフ・スミス(だったと思う)という人の話でした。僕は耶蘇教の教派についてカソリックとプロテスタントぐらいしか知識がなかったので、結構おもしろかったです。いろいろ考え方があるんですね。

boxyさんが見ていてくれれば、教えてくれるはず! …と勝手に期待している僕でした。

終わったことが嬉しくて

卒論の中間発表が終わりました。やっと楽が出来ると思いきや、月曜日までに卒論の目次および、掲載する図表を提出しなければならないとのことです。ふう…グルーミーな予定が続きます。まあ発表よりは気が楽なのでがんばります。多忙なときは「襟裳岬」のこのフレーズを聴くと癒されます。

日々の暮らしは嫌でもやってくるから 静かに笑ってしまおう

そうだそうだ、笑ってしまえばいいんだ、そう感じることができたらしめたものです。どことなく自暴自棄な雰囲気がただようのですが、根幹部分で軽妙に生きている気がしませんか? ちなみに僕は吉田拓郎バージョンしか聴いたことがないので、森進一が歌っているのを聞いてもこういう心情になるかどうかは保障いたしません。

ところで突然ですが、現在僕のマイブームは「マッスルパス」です。マジックが好きな方にはわかると思いますが、手のひらから指一本使わずにコインを飛ばす素敵な技です。
必死の練習の結果、ほんのちょっとだけ飛ぶようになりました。それだけのことが嬉しくてたまりません。

歳を重ねるごとに、ちょっとしたことで感動を覚えるようになりました。なぜでしょうね。大人になるということはそういうことかもしれませんね。そうだとしたら素敵じゃないですか?

そんなことを言いながら、頭の中では

「おそらく、人は成長していく過程で世の中の醜さや不安定さを知るため、すぐそばにある確かなものを発見することで心が躍るのだろう。それがどんなにくだらないことであろうと…」

なんて厭世的になっています。ひねくれてますね。でもこのままひねくれ続けたら、どこかで限界がきて「ぱちん」ともとに戻るかもしれません。ゴムみたいに。そういう感じにとらえるのなら「いずれ元に戻る一過性のもの」という意味を含んでいる気がします。可愛いじゃないですか。

実際「ひねくれる」という言葉はそんな可愛い使われ方をしませんけれど。だいたい「ふてくされる」や「すねる」が可愛い感じに使われますよね。個人的には「すねる」が一番好きです。どうでもいいですけれど。

そんなこんなで僕は類語が好きです。類語大辞典がすごく欲しい。初任給で買いたいと思っています。冗談です。そこまで熱望はしていません。しかし少なくともPS2よりは欲しいです。

文章を書くうえで同義語はすごく大事です。それは何度も同じ表現を避けるためです。例えば

彼女はその言葉を聞いて笑った。その笑いは、彼女の周りにいたビーチサンダルにかっぽうぎというスタイルのおばさんにも伝わったのか、おばさんも笑い始めた。僕もたまらず笑った。

こんな文章はどうですか? 僕はなんだかまどろこしくて嫌です。「笑った」や「彼女」「おばさん」が多用されているためにもたもたした感じがぬぐえない。これがこうなら?

彼女はその言葉を聞いて破顔した。そのほころびが、傍にいたビーチサンダルにかっぽうぎといういでたちの熟女にも伝わったのか、そのおばさんも嬌声を上げた。僕もたまらずおなかをかかえた。

…これもあんまり上手とは言えない文ですね。まあいいや、いろんな表現を知っているにこしたことはないってことです。

こんなこいるかな

昨日の夜、ふと思い出しました。

「そういや、“いやだいやだのやだもん”なんていうキャラがいたなぁ…」

ふと思い出すことというものは、どうしていつもこうも下らないのだろう? と自問自答しました。しかし、今回は続きがあります。僕のシナプスが、必要もないのに全力疾走をしはじめたのです。

どういうことかと申しますと、“やだもん”にまつわることを必死で思い出そうとしてしまったのです。

「…これなんの番組だっけ? …ええと…あんなこ…こんなこいるかな…。そうだ! こんなこいるかなだ! 思い出してきたぞ、ふふふ。他にもキャラがいたな…あのナスビみたいな…そう! “ぶるる”だ!」

こんな感じです。“やだもん”はノスタルジーワールドへの鍵だったのです。20分後には歌も思い出して歌っていました。しかしその歌が、さらに深い懐古世界へと僕をいざなったのです。

あんなこ、どんなこ、こんなこいる~かな~どっきどき~の○○、君と僕とは友達さ♪

「……どっきどき~の……どっきどき~の…なんだっけ?」

ここから僕の戦いは始まりました。3時間は死力をつくしました。

負けました。分かりません。3時間が無駄になりました。

こういうことってよくありますよね。なけりゃあないで構いませんけど。
でも僕はこの3時間の間に、“くいしんぼうのもぐもぐ”というキャラの名前を思い出しました。そして“いたずらっこの…”というキャラの名前を考えながら眠りに落ちました。

朝、さわやかすぎた朝。

「いたずらっこのたずら!」

さけびながら目覚めました。朦朧としているとき、意外と昔のことを思い出します。そんな昨日でした。

若輩者でも人生いろいろあります

大変です。困ったことになりました。

なにが? かと言いますと、4年生の卒論中間発表が来週にあるのです。全体での発表ではなく、研究室内ですが。

「聞いてないよ~」

ダチョウ倶楽部の懐かしいネタをやりたくなりました。

そんなこと1週間前に言われてもなぁ…ああ困った。そのうえ一月末までに一通り卒論を完成させなくてはならなくなりました。みんな大弱りです。発表用のスライド作って、原稿書いて、練習して、ダメダシされて、作り直して……わー1週間でばっちり出来ちゃった★

なんてことになるものか。

結局中途半端な出来のまま発表して、教授にものすごい勢いで怒られて終わりですね、間違いなく。なんだこの思いつきのようなスケジュールは…。

そういえば、この前の忘年会で教授はこんなことをしゃべっていました。

「オレ、世界はオレを中心に回ってると思ってるからさ」

まぁ、自覚しているのならまだいいか。

ということで、愚痴ってみたくなったのです。嫌な状況も人にしゃべると少し楽になりますよね。

そんなわけで今週は忙しいです。ですから日記は短めになりそうです。みなさん行間を死ぬほど読んでみてください。小泉さんが言っていた「眼光紙背に徹すれば」の精神です。

今日は……プエルトリコ……落陽…ちくわのような…座禅…噛んで…男やもめが…噛んで…。

みたいな文章になるかもしれませんから。どういう話か分かったでしょうか? 

そうです、お宮参りに行ったのです。そうです、冗談です。

とりあえずなるべく更新はするつもりです。字飾りをしている暇はないということを了承ください。

新年初ブログ

あけましておめでとうございます。なにがおめでたいのやら分かりませんけれど、とりあえず長いものに巻かれて言ってみるのが好きな僕です。

そういえば何年か前に、小学校時代からの友達が将来の展望についてこんなことを言っていました。

「お前アレやぞ。人の敷いたレールに乗るのが一番楽なんぞ」

なかなかの名言だなあと思いました。人生設計にかかわらず、創造的な仕事私意についても言えるのではないでしょうか? 

ざっくばらんに申しますと「パクり」「受け売り」ということです。

例えば「トリビアの泉」を見ていない人に対して、番組で紹介されている「トリビア」を言えば、「へー。そうなんだ。色々知っているね」と思われるでしょう。

このように「受け売り」とは、自分を少しスノッブに見せる方法として一番楽な手段です。まあ相手がその情報を知らないということが前提ではありますが。

楽曲や文章の創造的な仕事に関していいますと、著作権である程度「パクリ」をガードしていますが、それでも似ている曲はありますよね。僕が近頃気になっているのは、上戸綾の…(曲名忘れましたけれど最近のやつです)とコブクロの「轍」です。サビのところ似ていません? でもそれは意図的に似せようと思って作ったのではないと思います。偶然似ることだってありますよ。Maybe

でもThe Beatlesの「Anytime At All」は、「It Won’t Be Long」を少し変えたものであると、当のジョンレノンがカミングアウトしていたそうです。そういうこともあるんですね。

なんやかんやわめきましたが、結局僕の言いたいことはそういう生き方も悪くないということです。

レールに乗るのだって(無理矢理軌条を踏まされるのであれば話は別ですが)、本人がそうしたいのならいいじゃないですか。大きな夢を持っている人が、それに向かってがんばるのと同じですよ。きっと。


あいまいな結論ですが、どうぞ大目にみてください。仙台では年末年始にかけて相当量積雪してしまったので、四国育ちの僕はテンションが下がっているんです。困ったなぁまったく…。