どうでもいい話 -17ページ目

コードの話

今日神奈川に行きます。なので、明日の分とまとめて掲載したいと思います。

せっかく一度に二つも載せるのだから、一つはマニアックな話にしたいと思います。興味のない方にはまったく面白みのない話です。そしてそれは今から書きます。

前に僕がコードについて触れたのを、ご銘記されている方はおられるでしょうか?

コードといっても導線のコードではありません。和音のコードです。C、Dm、F#M7などの、五線譜の上に乗っかっているアレです。

僕の知り合いでピアノをつかって曲を作っている友達がいますが、彼はコードに関して無知です。うちの姉はいまでこそコードに詳しいですが、昔はピアノをやっていたにもかかわらずコードの知識がありませんでした。

ピアノを習ってきた人はたいていコードに詳しくありません。ただしクラッシックピアノに限ります。バイエルなどをやっている人です。これがジャズピアノになると、コードスケール(音階)の知識なくしては弾けません。

なぜそういった現象が起こりうるかと申しますと、それはおそらくアドリブの有無に帰依するところが大きいのではないでしょうか。

基本的にジャズはアドリブで弾くものです。楽譜もいたってシンプルで、メロディとコードしか書かれていません。それを見ながら

「Key GでコードがDか…今日はブルージーなタッチで弾きたいからDオルタードスケールで攻めてみようかな」

一瞬でそんな風に考えて弾くわけです。うーんやはりマニアックになってきましたね。

楽譜を正確に追い、タッチや間の取り方で個性を表現するクラッシックと違い、ジャズはそのときそのときの気分でメロディをつむぎます。

ギターを弾く人は大体コード弾きから練習をはじめるので、そこそこ詳しいです。しかし、ロックが好きな人は速弾きにのめりこむ傾向が強く、あまりコードも知らないうちにギターソロの練習をしだしますので、あまりコードの知識が豊富とはいいがたいです。あくまで傾向ですよ。

なので「じゃあ曲の構成はこうだから」とコードだけ書かれた紙を渡しても、その場で演奏することができなかったりします。「このコードどんな押さえ方でしたっけ?」となるのです。

僕は特殊なテンションコードなどを除くと、だいたい弾くことができます。大学時代はフォーク青年で、弾き語り中心でしたから。

これ以上話し出すと止まらなくなるので、この辺りで止めておきます。

ワレタダタルコトヲシルノミの精神です。

来年度から、内輪バンドを組もうと勝手に思っています。徳島に帰ってくる友達を誘って作るつもりです。よくコメントを書いてくれるみき君もその一人です。

彼にコードを教えこまなくては…と思う今日この頃でした。
みき君のブログ

統計や報道のトリック

明日明後日と神奈川へ出張することになりました。ただ実験を行いにいくのです。

正直言ってです。だってわざわざ仙台から神奈川まで行って、朝から夕方まで実験して、すぐさま新幹線で仙台に帰っても10時、というプランですよ。

十月にも同じことをやりました。なんというかいろんなものを消耗する旅でした。

そんな僕の話し相手になってくれるという奇特な方がいらしたら、12月21日の21時以降、神奈川県大和市にある「大和第一ホテル」までいらしてください。交通手段は電車が便利です。「大和駅」から歩いて5分、ムーンウォークで7分半、パレードしながらきても10分で着きます。

よくよく考えると、こういう風に「先のことを憂いで覇気がなくなる」というのは、非常に無駄ですね。そのときになってから悩んだ方が明らかに得です。

今の場合、十月のことについても憂慮していますので、未来現在過去と3倍損をしています。むむむ…。

…ネガティブな日記は読んでいる方もつまらなくなると思うので、路線変更いたします。

この間、新聞やマスコミで取りざたされていた問題で「憂う」という言葉を「楽しい、うれしい」と思っていた人(大学生の調査でしたっけ?)がかなり多数いた、といったものがありました。

語感が「うれしい」と似ているからだろう、と社説にはありました。そういうものなのでしょうか? あの調査は4択か5択だったと記憶しているので、確かに語感が似ている「うれしい」は誘導尋問的に選ばれた可能性もありますね。

憂う? うむむ…わからん。こういうときは選択肢から考えるか…。
①心配すること…どうかな? 
②考えること……ちかいかな? 
③こたつの中に美女がまるまっていないか調べること……だったらいいな…
うれしいこと…最初の2文字一緒だしこれでいいか」みたいにね。

それはともかく、僕がひとつ気になっているのはそういった調査の結論です。このような結果だと大体こうです。

「今の若者は活字から離れてしまっている。だからこういった言葉に触れる機会がなく、ボキャブラリー不足に陥っており…以下うんたらかんたら」

はたしてそうなのでしょうか? 「活字から離れているので言葉を知らない」というのはまったくその通りだと思います。僕も読書の習慣がつくまでは、漢字が苦手でした。

僕が言いたいのは「今の若者」というところです。この結論が非常に危ういのは、過去のデータと比較をしていないという点にあります。同じような調査を70年代、80年代にやっていて、それと比べた上で意見しているのですか? ということです。

ある種の情報操作ですよね。そういう例としては「医療ミス」があります。

最初に医療ミスが取りざたされたのは、宮城の病院だったと思いますが、「看護師が筋弛緩剤を点滴混入した」という事件です。それをきっかけにマスコミでは連日医療ミスを報じるようになりました。

僕がそのとき思ったことはこうです。

「“最近医療ミスが多いなあ」

でもこれは事実を正しく把握していません。なぜなら筋弛緩剤の事件以前の医療ミス事件がどれほどあったかを、知識として持っていないからです。

結論を言うと、医療ミス事件は昔から多量にありました。ただ報道されていなかっただけです。つまり“最近”というのは正しくありません。

なので「最近の若いもの」というコメントが出るたび、僕は非常に疑い深くなります。本当に最近だけの話ですか? と。僕は変質者のようなきわどい目つきをしているときがたまにありますが、それはなにかを疑っているときなのです。けっして干された下着を物色している、とかではないのでご安心を。

今日はこんな話です。みなさんもそういう統計や報道にだまされた経験はありませんか? あれば教えてください。

あと、この言葉調査については、もしかしたら過去のデータと比較した上でコメントなされていたのかも知れません。そうだとしたらふてくされながらすいませんと言います。みなさんあまりの可愛さに許さざるを得ませんから。

A型うお座の独り言~日曜用

日曜分。

僕は今あまり漫画を読みません。中学生頃にジャンプを買うのもやめていました。「ドラゴンボールが終わって、スラムダンクも終わってあんま読むもんもないじゃろ?」とおかんの決断が下ったのです。その後といえば、ジョジョの奇妙な冒険ヤイバ三国志を集めました。そんなものです。

ですが、最近集めはじめたものがあります。それは「ぴゅーっと吹くジャガー」です。

読んだことがある人なら分かると思いますが、面白いですよね。僕は“あの手”のギャグが大好きです。吉田戦車のような“この手”のギャグも好きですが。

僕が一番面白いと思ったところは…とやるのは非常にローカルで内輪なのでやめておきます。読んだことのない人が困りますからね。僕の好きなギャグ漫画はこれとこれだよ、と紹介するだけにとどめておきます。

ところで話は変わりますが、最近「血液型」と「星座」の番組多いですよね。やはりみなさん関心があるのでしょう。ちなみに僕はA型うお座です。僕との相性を知りたい方はどうぞ乱用してください。でも結果は教えてくださいね。

なぜこんな話をしたかと言うと、そういった番組で「うお座は妄想癖がある」と言っていたからです。「はあ、なるほどねぇ。たしかに僕の知り合いのうお座は妄想癖があるねぇ…あ、僕もうお座だ…なるほどねぇ」と納得しました。

良い言い方をすれば「想像力豊か」ですよね! …ですよね? 基本的に妄想癖のある人は漫画よりも小説がむいていると思います。自分で自由にシーンを決められるからです。

例えば「神々しい雨が降りしきる中、彼女は立っていた」というような、非常にあいまいな文章があったとします。あくまで例ですよ、普通はもっと状況を設定している文があると思います。

これを読む際にどのような心の動きがあるかと言えば、まず「どんな服装なんだろう…髪型はどんなだろう…年は…どこに立っているのかな…」と考えるわけです。

漫画であれば一目瞭然のことも、文にするとあいまいさが残ります。そして我ら妄想狂はそのあいまいさを都合よく突くのです。僕ならこうです。

「神々しい(夏のにわか)雨が(廃墟となったビルに)降りしきる中、彼女は(肩まである髪とセーラー服をびしょびしょにぬらしながら)立っていた(。靴はどこかに脱ぎ捨てたらしく白い靴下が泥に汚され、ある種の儀式のように神秘めいている)

ね。なにが“ね”なのか分かりませんけど。ね。

どうでしょう? 僕の思い描くシーンが少しは分かりやすくなったでしょう? そして僕のことを少し軽蔑したでしょう? 

そんなものです。もしこれが漫画だったとすると、こんな自由な妄想は不可能です。はじめから全て与えられているのです。もしかしたら「彼女」はカシミアのコートを羽織った熟女で、雨でマスカラが黒い涙となっていた状況だったかも知れないじゃないですか。

僕は小説が好きです。たまにコメントをしてくれる僕の悪友、aroesmith君もA型うお座で小説が好きです。そこになにかしらの因果関係を見つけるのは難しいかもしれませんが、因果関係がないと言い切ることも難しいじゃないですか。ね。

ああだこうだ言いましたが、じつは僕、星座占いは信用していません。血液型はあるかもしれないけれど、生まれた時期でなにか変わるとは思えないです。どうでしょう?

あれ? 漫画の話だったはずなのにな…。まあええですわ。

ちなみに画像は瀬戸大橋から撮った瀬戸内海です。ね。

鎌倉の思い出~土曜用です

ええと、週末は学校にこないので、土曜日曜分までまとめて書きます。

なぜ急に思い出したのか…自分でもわからないのですが、鎌倉の話をしたいと思います。鎌倉にはきり通しと呼ばれるトンネルのような道がいくつもある。それはそもそも1192年に源頼朝が開幕していらい…おっと、こんな話ではないです。高校時代は日本史をとっていたので、歴史深い土地の話になるとつい…。ついでにどうでもよい自慢をさせてください。僕、日本史のセンター試験は97点でした。結構すごいでしょ? そのくらい好きということです。でもいまではほとんど覚えていません。授業がなきゃそんなものです。

ええと、鎌倉の話でした。僕は去年、一日だけでしたが鎌倉で寺巡りをしました。確か長谷寺の観音像を見て、鎌倉の大仏を見て、鶴岡八幡宮を見て、湘南の風を感じて…あと何しましたかね…あまり詳細は覚えていません、なんせ一年前ですから。どうでもいい3つのことしか頭に残っていません。

1つめ。

僕はあのとき寺から寺にむかう山道を歩いていました。ええ、そりゃあもう本当に山道でした。ハイキングコースと銘打っていましたが、過小広告です。

ひーこら言っているうちに、幾人かとすれ違いました。登山の鉄則として「すれ違う人との挨拶」があります。気分は登山だった僕は「こんにちわぁ~」と息も切れ切れ、腑抜けな挨拶を繰り返していました。

そしてその人とすれ違ったのです。おそらく30代後半、薄灰色の帽子、ハーフパンツ、すべての着こなしが彼を物語っていました。僕は彼に声をかけました。

「こんにちわぁ~」

「んん! こんにちは! いい風だね!

 僕はそのとき、彼のことは一生忘れないだろうと思いました。事実今のところ忘れていません。だってこんな台詞はジブリのキャラしか言えませんよ? そうでしょ?

このことを不意に思い出したのです。なにが僕にインスパイアしたのでしょう。

二つ目。

湘南の海岸を歩いているとき、目に砂が入って痛かったです。砂粒とは近くのマクドナルドのトイレで格闘しました。それだけ。

三つ目。

大仏を見ているときに、修学旅行生らしき制服の集団がところどころにいました。風が吹きました。どこかの学校の誰かのスカートがめくれました。それだけ。

以上、急に思い出した鎌倉の話でした。ハーフパンツの彼以外の話に興味があるかたは一報ください。気が向いたらまた書きます。まあいないでしょうけど。

勝ち組、負け組

最近しばしば耳にする言葉に「勝ち組」「負け組」といったものがあります。定義があるのかどうか定かではありませんが、経済的観点から決められているように思われます。つまりは「金持ち=勝ち組」のような。これは僕の独断と偏見に基づいていますので、手厳しい質問がくると逃げますので、あしからず。

しかし、一概にそうとは言えないとも思います。それはなぜかというと、「女性、30代、未婚、子なし」はたとえ経済的強者にいたとしても負け組らしいからです。はて…これは困りました。なにか因習的なにおいがします。

僕の主観を交えてまとめます。

勝ち組とは、その行動、倫理規範が通俗観念から離れることなく経済的成功を収めた者」といえるのではないでしょうか?

この定義を用いますと、「人間的にはコンサバティブであるのに、ラディカルな経済的手腕を持ち、若くして会社を建てた人」は勝ち組ですね。

…なんじゃそら。自分でもよくわからなくなってきました。そもそもそんな人いますかね…。

例えばライブドアの堀江社長なんかは人間的にもラディカルな感じがします。とするとこの定義には当てはまらない…。しかしあの人は見るからに勝ち組ですよね。資産だか貯金だか忘れましたが、500億あるそうじゃないですか。それだけあれば、僕の生まれ故郷である井川町は買えそうです。

でも楽天の三木谷さんはこの定義にぴたりと当てはまる気がします。

あ、つまり秀才肌で成功した人ですね。

結局この定義はあいまいなものだと分かりました。じゃあ勝ち組負け組の区別のしかたは…勘ですかね。プロ棋士は感想戦の際、「第一感は6八金でしたね」という言い方をしばしばします。最初にピーンときた手のことをこう言います。これはまさしく(経験に基づく)勘です。

直観力の鍛えられている棋士のみなさまに、勝ち負けを鑑定してもらうのもいいかもしれませんね。

棋士の方が常駐している壮大な和風の平屋があって、そこにあなたは訪ねていくのです。もちろんチャイムなんかありません。がらがらがら「ごめんくださいませ」です。

すると使いの少年が出てきて「ただいま別のお客様を鑑定中ですので、待合部屋でしばらくお待ちくださいませ」と声変わりしていない華奢な声で言うのです。そして待合部屋に入ると、すぐに「粗茶ですが」とくるわけです。

期待と不安にかられながら飲むお茶には、茶柱がたっていて「さいさきが良いわ」なんて少し破顔するのです。しばらくするとまた例の少年が来て「お待たせいたしました。今日の棋士は小見川九段、ただいま竜王戦の挑戦者でもあります。持ち時間を使い果たしてからの早読みは天下一品です。どうぞよい結果がでますように…」

通されたのは、20畳はある大部屋で、次期竜王候補は上座で姿勢を正しています。「失礼いたします」と下座に座れば、その座布団の高級さに驚きを隠せません。

昨年王位の座を奪われた九段はじっと見つめます。じっとじっと。

1分はたったでしょうか。不意に座りなおした九段はあなたの目を見つめます。

「うーん……第一感は負け組ですね」…ひどいったらありゃしない。

 僕は基本的に「自分がそれでいい」と思えたら勝ちなんじゃないかな、と思います。その基準は人それぞれです。そう言ってしまうと「結局性格なんじゃないのかい?」、ということになってしまうのだけれど。

今日は真面目だなあ僕。すばらしいなぁ僕。

 こう思っていられるうちは勝ち組なのです。えへん