趣味マージャン
この題について言っておくが、私の趣味がマージャンという意味ではない。
さきほど「趣味マージャン」という単語が思い浮かんだだけだ。
意味は「マージャンが好きで仕方がない部類の人たちに混ざって、お付き合いで楽しむマージャン」だ。
昨夜まさに趣味マージャンをしてきた。
そしてこなくそに負けた。
もうやるものかと思った。
確か一ヶ月ほど前にも趣味マージャンをしてきた。
そしてこなっくそに負けた。
もうやるものかと思ったはずだった。
レートが低い(私が懇願したため1000点30円)のが唯一の救いだが、負けたときのやるせなさは変わらない。
こんな素人相手にやつらはウマまでつける。(ウマ:最下位が一位に余分に点を払わなくてはいけないという、世にも資本主義的なルール)
しかし私はいつもこう答えるのだ。
「またやりましょう」
「ふふん! 今度は負けん!」
心のどこかであぶく銭を欲しているのだろうか。それとも実にくだらない向上心からなのだろうか。
人間は死ななければ変わらないというのは本当なのだろうか。
文体を変えてみたのだけれどいかがだろうか。
人間は何もしないと何もできなくなることに気がついた。
昨日のことだ。
私は現在一軒家を借りて3人でシェアリングしているのだが、ほとんど家事はしていない。
同居しているのはYAMATOという大学生とアロエスミスという大学院生なのだが、後者のアロエは料理が得意である。
そのような事実から導かれる答えはただ一つ、食事係の丸投げである。
そして、アロエは現在就職活動中であり大学から離れている。とりもなおさず暇な時間が多いわけだ。
しかし、我らは仕事や大学という国民の義務を果たしているため、日の高いうちは家にいないことが多い。
アロエは誰もいない家で一人、そうするとフリータイムにやることは限られてくる。
そう掃除、洗濯だ。
私は無理強いしているわけではない。本当にやることがないのだ。本意をあらためたことはないがそうに違いない。そうであって欲しい。おそらく……そうだろう。
もし何かしらの強迫観念から家事をしているのならば一言願う。私とて前向きに検討するポーズをとることぐらいはできる。
こうして今の私の状態をかんがみてみると、いかに何もしていないかということが、鋭い人にはおわかりだろう。
昨日、アロエから仕事中にこんなメールが入った。
「(省略)……今日はオヤジと食いにいくので、君らのメシを作っておきます~。鍋の中身をあたためて、ゴハンにかければ完成! ……(省略)」
「なるほどなるほど、それは結構だ。親子の絆を深めてくるがいい。なあに私はどうにでも生きていけるさ」と思っていた。
そしていざ家に帰ると、確かに鍋に何かが入っており、炊飯器にはご飯が鎮座していた。
さてではいただきます、と思った瞬間、ある思いが私の脳内を奇跡のごとく駆け巡った。
…鍋をあたためる? …そんなことできるだろうか? …どうやるんだ?
私の名誉のために付け加えるが、このように感じたのはほんの一瞬だ。1秒後にはちゃあんとガスコンロに火がともっていた。
そして支障のないように言っておくが、私は料理をしたことがない良家の坊ちゃんでもなんでもない。大学時代もちゃんと自炊をしていた。
しかし刹那的にそう感じたのはまぎれもない事実である。
みなさんも一日でいいので、普段の生活の何気ない動作に気をつけてみて欲しい。きっと一度ぐらい昨日の私のような状況があるかと思う。
…ないか。
あわ
どうも。
なんとなく久し振りなy-yです。
あくまでなんとなく。
ん? なんとなくってなんだ?
何とはなく?
つまり
「別に何かあるってわけでもないんだけどさー」
ということ?
ああそんなことはどうでもいいや。
最近たんぼが綺麗だ。
えらく緑でやわらかそうだ。
うん、なんかそれに気づいたことで人生の半分ぐらい得した。
昨日、徳島市から少し南に位置する小松島というところで花火大会がありました。
もともと少人数で見に行くつもりだったのですが、なんやかんやでトリプルブッキング状態に陥り、
結局11人で見にいくこととあいなりました。
多い。
内訳といたしましては、寮メンバー(僕、SB君、ST君、I君)、アロエスミス、同僚(Mさん、N君)、美容師姉妹、寮長の後輩(Yさん、Dさん)。
もともとは寮メンバー&寮長の後輩というメンツで行くつもりだったのですが、花火当日の昼間に同僚とフットサルをやりまして、その際に「我も我も」と同僚グループが増え、フットサルが終わったあとSB君に美容師姉妹からメールがきて、「我も我も」と増殖。
そんなよくわからない状態のまま見にいったのですが、思いがけず花火は盛大で綺麗でした。
しかし、人ごみがすさまじく多少疲れました。
「おお徳島にもまだこんなに大勢の若者が…」
と「帝政下のアンダーグラウンドで活動するレジスタンスが、自分たちに賛同してくれる民衆が大勢いるということをはじめて知った」ときのような心持になりました。
よくわからないけれど、想像です。
またどこかの花火に行きます。
一緒に見に行きたい人は徳島まで来てください。
そして屋台でぶりぶり買い物をしてください。
どうか財政難の徳島に外資をおとしてください。
なんてことを考えながら三連休は花火のように終わったのでした。
やはり眠い
理想と現実の
ハザマにゆれる
妥協
どうもお久し振り。極めて眠い毎日を過ごしているy-yです。
そんな覚醒していない頭のままで、こ難しいことを考えるのは不得手なのですが、何事も挑戦というスタンスでお送りします。
理想は皆さんお持ちだと思います。自分に対するもの、人に対するもの、はたまた世界に対するもの。さて、その中で現実とのギャップが一番大きいものは何ですか?
ここで「自分に対するもの」と思った人は、自虐的な人じゃないですか? (全て僕の経験と勘に基づいて発言しているので、絶対的に正確ではありません。ご注意を)
僕の考える「自虐」とは、理想の自分と現実の自分がかみ合わないが故に、自己を虐げる行動です。
それはきっと、現実の自分が至らないのではなく、理想を高く持ちすぎるところに原因があるのだと思います。理想主義者ということです。
理想主義者には2パターンあって、1つは他人や世界に対する理想を高く持つケース、そしてもう1つが自分に対してもつ場合です。
どちらが悪いだ良いだということはわかりようがないので、ケーススタディに基づいた僕なりの法則を述べていきます。
<ケース1:他者に対する理想が高い場合>
これは他人に厳しいというパターンです。ドラマで出てくる姑のような人でしょうか。いや、あれはただ単に難癖をつけているだけか。
むしろ「熱血先生タイプ」ですね。
「お前らはやればできるはずだ! さあ頑張ろう!」
このセリフは他人に対する理想が高いことを示しています。
自分の中にある理想の世界に他人を同調させようと頑張っている。
その行動を思いやりとみるか、自分勝手ととるかは受け手次第。
性格的には快活であり、あとくされない。意見、意向が一致すれば非常に気安い存在。あまり自分への批判は聞かない。
<ケース2:自分に対する理想が高い場合>
自分に厳しい人は主に「気が弱い人」に多いと思います。
達人と呼ばれる人もそうだと思いますけれど、相対的に少ないでしょう。
この手の人はとにかく「ごめんなさい」と言います。なにかと謝る。
人のミスでさえ自分が悪いと思う。これは自分に至らぬ点があったと思う心からきており、とりもなおさず自分に対する理想が高いことを証明しています。
性格的には生真面目でしっかりしている。おおよそ2面性があり、普段ははつらつとしているが、急に沈み込む。なんでもかんでも自分ひとりで背負い込む傾向がある。
はい。以上。勝手な分析終わり。
僕はどちらかというと現実派なので、理想は頭の中だけで追います。
うむ。
適当すぎて泣きたくなる日もある
疲れています。
いままでにないほどに疲れています。
なぜだろう?
多分無理をした生活をしているからだ…。くそう。
あ、ここで言う「無理」とは「仕事を頑張る」とか「一生懸命自分を磨く」だとかいう美徳的なナニではなく、単に「夜更かし」ということです。
自慢でもなんでもない告白ですが、僕はもともと比較的寝るのが早いのです。10時ぐらいに寝られたら他に何もいらない。いや、嘘。誰かのハグぐらいは欲しい。
しかし、ここのところどうもいけない。12時を回ることが多々あります。
このままでは体内時計が狂ってしまう…。四六時中眠い…。
ナニが最大の問題かというと、眠いとノリがおかしくなるところです。ライクアほろ酔い気分。
自分が何をやっているのかよくわからなくなります。というよりも捨て鉢です。
この前は仕事を終え、帰宅した後ゲームセンターに行きました。昔書いたかもしれませんが、僕はクレーンキャッチャーが好きなのです。趣味です。生きがいです。いや、嘘。暇つぶしぐらいです。
それで、アロエスミス(友達)の運転する車で、後輩も連れて3人でぶーんと行きました。そこで適当に落とせそうなぬいぐるみをゲットしました。アロエはでかいThe Dogをゲットしていました。奴はそれに調子付いてクレーンキャッチャーにはまりました。しめしめ。
その後、アロエの髪を切るため、知り合いの美容師のところに行きました。ここは姉妹+母親がやっている店で、確か姉が寮生であるSB君と知り合いとかいう関係で僕たちも知り合いになりました。
徳島は狭い。どこにでも知り合いがいる感じがいなめません。
その日は、美容室に寮生(SB君、ST君、I君)と、アロエ及び僕の同居人YAMATO、そして美容師姉妹、そして僕、の大所帯で居座る、という迷惑行動をしてしまいました。反省。
アロエとI君が姉妹に髪を切ってもらっているあいだ、さっぱりやることのない我々は雑誌を読んだり、もの珍しそうにうろうろしたり、つぼを押し合ったりしてすごしました。
その後8人で寮に行き、無駄にだらだら過ごしました。
最近の傾向として、無駄にだらだらというシチュエーションが多い気がする…。まずい…。
その後家に帰ると結構な時間になるのです。眠いのです。
まあいいか、と思えるうちはよいのですが、そのうち「まあいいかでは済まされないぐらい疲れている」状況になりそうで怖いのです。
こういう未来に対しての不安というのが一番恐ろしいですよね。現状をなんとかしなくてはアアイウ風になってしまうのがわかっているのに、なんともできない。これは明確なビジョンを失していることが原因です。
僕も「まあいいかでは済まされないぐらい疲れている」状況がどの程度ひどいものなのか、予測がつかないので、イマを変えられない。
曲がり角でスピードを出すドライバーは予測が甘い。たばこを吸う人も甘い。
…この二つは個人的な偏見で嫌っているだけですけどね。
全ての人が健全な社会の構築を目指すポーズをとれば……どうなるのでしょうね。
とりあえず僕はとってないのでわかりません。自分でナニを言っているのかすらわかりません。
疲れた。
頭が回らないので詩を書きます。こういうときは意味不明確でどうしようもない詩が書けるはず。
題:愛の手と合いの手を
このごろミヤコに流行ってる
23個のオキテには
「牛乳飲んだら深呼吸」
って言葉が刻まれていた
ミミズクが今日も鳴いている
嬉しくって鳴いている
君と僕が明日は泣いている
目にゴミが入った
1,2,3って大声あげて(ワンツースリー)
田んぼに飛び込んだ
1.2.3って大声あげて(いちにーさん)
バリアも気にしないのさ
絹ごし豆腐を吸うまでは
世界はとっても狭かった
小さなお尻で考える
あの日のことばかりずっと
ソレは気のせいだと思ってた
僕だけはそう思ってた
誘ってるんだと思ってた
きっとそうだ
1,2,3って大声あげて(ワンツースリー)
ホントの君に飛び込んだ
1.2.3って大声あげて(いちにーさん)
クレパスに落ちるのさ
君で夢を見てたのは僕だけじゃなかった
金色のキーを押し込めば誰にでも見える