どうでもいい話 -5ページ目

エンバイロメンとイシュー

墓穴を掘る

 

自分の首をしめる

 

自らを苦境に追い込む

 

それは

 

人の定め

 

その決まりですら

 

自分で決めている

 

それが

 


 

 

 

お久し振り。今日はちょっと環境問題について考えたいと思います。

 

去年は台風が多かったですね。先週の土曜日に県南の滝を見に行ったのですが、目的地までの道のりは自然災害の惨状をよく表していました。がけ崩れで道がワヤになっている箇所が幾多とあり、非常に怖い思いをしました。今こうして生きていられるのは、前世での因業が少なかったからだな。うむ。

 

 

昨今の異常気象は地球温暖化が原因だと言われています。温暖化現象のメカニズム等についてはご周知のとおりだと思いますので割愛。

 

 

今現在、地球は温暖化に加え様々な問題を抱えています。例えば、ハロゲン化合物によるオゾン層の破壊、人口爆発、土壌水質汚染、エネルギー枯渇…etc

 

 

それらの解決すべき課題について、一つ一つ最善の対応策を考えることは簡単です。例えば温暖化を防止しようと思うなら、「今後、化石燃料、ガス、および電気をつかうべからず」と言えばいい。人口爆発を抑止しようとするなら、「食料の輸出入を禁じる」とうそぶけばいい。そうすればその土地で養える最大限の人数へと淘汰されていくでしょう。

 

 

問題なのはそれが実行できないこと。それにつきます。

 

 

なぜか? 

 

 

時の矢は戻らないから。

 

常に一方通行だから。

 

そういう感覚で人間は生きているから。

 

堕落。

 

食わず嫌い。

 

 

 

つまり、環境問題というのは本質的にエコノミカルな制約をはらんでいて、それは人間の深層心理に立脚したものであるということです。

 

 

アメリカは京都議定書の批准をしませんでした。Can‘tではなくDon’t。

 

もし、全ての人間の心から欲が消えれば、今頃みんな仕事を止めて農家に戻っているでしょう。これが最善策だと思います。しかし、欲がなければ社会は工業的、文化的に発展しませんから自家撞着ですか。

 

 

まあ、その辺りは考えないことにしましょう。めんどくさい。

 

つまり裏を返せば、「欲」があるために人は環境問題に取り組めないということです。欲があるためにポーズはできるんですけれどね。

 

 

長くなりましたが、今回僕が考えたいのは「どういう種類の欲が公益を害すか」ということです。

 

 

ここで公益としたのは、環境問題にかかわらずパブリックマナーも同じようなことだと思うからです。

 

おそらく根底にあるのは「自分さえよければいい」という気持ち。

あ、誤解しないでください。別に自分勝手な人が悪いというつもりはありません。それは生存本能としてのサガですから仕方ない。品行方正な人というのもその本能を適当にセーブできているというだけだと思います。

 

ふむ。話が脱線しました。

 

 

「自分さえよければいい」という気持ちの弱変化形が「自分一人がルールを守らなくても何も変わらないだろう」というもの。これは原理的に同じことです。多少の後ろめたさがあるかないか。

 

これをもう少し弱くすると「ルールを破ってしまった。でも仕方がなかったんだ」となります。なにかしらの理由をつけて、自責の念を軽くしようというものです。

 

これ以上弱くなると、そうそうルールは破らないでしょう。

 

 

さて、「自分さえよければいい」と思う人とあまり思わない人、なにが違うのでしょう?

 

おそらくバックグラウンドが異なるのだと思います。

 

…疲れたので、続きはまた後日。バイ。

寝不足だわ疲れているわ筋肉痛だわやる気はないわ

何も知らないのと

 

全て知っているのと

 

どちらが楽であろうか。

 

 

 

 

おひさしぶり。y-yです。

 

最近とりあえず腐っています。昨日は友達のポリスメンと二人、7時ごろから布団の上で、ぐうたらぐうたら、何をするでもなく、前日にあったいいことを思い出しながら、ぐうたらぐうたら、ただただ妄想を膨らまし、ただただ転がり、ぐうたらぐうたら。

 

一番問題なのは、そう、もっとも一般的に見て適切でないことは、

 

 

そういう時間が嫌いじゃないこと。いや、むしろ好きなこと。

 

 

でもまあ、ぐうたらしながらも宇宙論について熱く語ったのでヨシとしましょう。Pメンも僕も宇宙や相対性理論が大好きなのです。

 

 

これでプラマイ零だ。

 

うーん……最近、日常レベルでの深い思考ができなくなっている……。

 

 

まあいいんだ。困ってないから。今日も思いっきり腐るんだ。腐りかけが一番おいしいんだ。

TBの利便性についてはいうまでも無い

幸せになるために

 

僕らは何ができるだろう

 

僕は何ができるだろう

 

うん

 

もうしてるんだ

 

だって

 

不幸せになるために何かをするなんてことは

 

ないから

 

 

 

どうもこんにちは。今日は特に書くことが見つからないので、TBしますね。コンプレさんの夢と幸せについての考察に関連付けたいと思います。

 

 

彼と同じく、僕もこれといって「夢」のある人間ではございません。昔からそうでした。

よく言えば「多くを望まず、今あるものに感謝して生きる」という状態。

 

まあ悪く言えば「単なるなまけもの」ですが。

 

 

どちらの言葉が実際の僕を表しているかはみなさんの観察次第。

 

おそらく8割方前者かな? ふむ。

 

 

そんなレイジーボーイ……もとい現実主義の僕にも希望がありました。

それは「幸せに生きる」です。

 

 

森博嗣さんは

夢   ………  現実に起こりうる可能性のないもの

希望 ………  現実に起こりうる可能性のあるもの

 

という使い分けをしておられました。

 

 

だから僕は先ほど「希望」という言葉を使ったのですが、正味の話「幸せに生きる」というのは難しいです。波のたたない人生なんかあるわけがないのだから。

 

 

だけれど、あくまで「希望」。「夢」ではありません。

 

 

 

そもそもシアワセとは?

 

コンプレさんのおっしゃるとおり満ち足りた状態?

 

うん。そうだと思います。

 

 

そしてその価値観が全て主観的に決められるのも事実。

 

 

 

だとすると。

 

「幸せ」の有りようというのは、全て主観的で恣意的。

 

 

ポジティブシンキングな人は常にシアワセなことが多く、ネガティブに落ち込む人はフシアワセが多い。

 

 

 

以前「世界一受けたい授業」という番組でミワアキヒロが講師で出ていました。彼がなにについて講義したかといいますと「正負の法則」についてです。

 

なんのことやらわからないかもしれませんが、どうやら「人生ではシアワセとフシアワセの量がつりあうようにできている」という法則だそうです。

 

それまでの講師が科学的、学術的な内容だっただけに僕は面食らいました。

 

なんじゃこの胡散臭い話は……と。

 

 

みなさんはどう感じます? 

 

僕はいまだに胡散臭いと思います。ぴゅーっと吹くジャガーという漫画にも「インチキ」という似たような人がいました。ああ、そういえばドラえもんの道具にもありましたね。

 

ただ、シアワセを測定する方法なんてありませんので、一概に「そんなわけない」と言い切れないところがありまして、快刀乱麻とはいけません。だからとりあえず「胡散臭い」にとどめています。

 

 

幸せにつきましては昔から様々に捕らえられていたのでしょう、それに関することわざがたくさんあることが何よりの証拠です。

 

例えば「人間万事塞翁が馬」。これが一番知られているでしょう。おそらく。

人の禍福は予想がつかない、という意味です。多少プッシュが足りない気がします。シアワセは運任せ、と捕らえている感じがします。

 

他には「禍福はあざなえる縄の如し」。

ワザワイの後にはフクがくるし、フクのあとにはワザワイさ、という意味で、先ほどの胡散臭い理論と似ています。

 

僕の考えと一番近いのは「禍を転じて福となす」です。

ピンチをチャンスに変えろ! ということです。非常に主体的で、いいんじゃないでしょうか。

 

 

 

とまあ、尊大にもことわざの評論をしてみました。これらのことわざについて、僕と同じイメージがわいた! という人は素敵です。気が合います。なんなら液晶画面越しに手を振ります。

 

最後に「シアワセに生きる」を目標に掲げている、僕の考えるシアワセについて話したいと思います。

 

シアワセ…それはきっとコミュニケーションの中にあります。僕は一人でシアワセを感じられない。友達、家族といったコミューンの中でいることが大前提。そしてそういったコンパニオンと会話をしたり、遊んだりすること…それが僕のシアワセです。

たんなる報告、あるいはカタルシス

自分の周りにある

 

寂しさはなんだろう

 

ときどき

 

交わったり重なったり

 

ときどき

 

平行になったり離れていったり

 

人生のレールは

 

そう

 

とても偶然なようで必然で

 

きっといつだって

 

自分は一人ぼっちで

 

隣のレールに憧れてみたり

 

距離を置いたり

 

こんな繰り返しで

 

人は生きている

 

たったそれだけで

 

人は生きている

 

 

 

どうも。なんだかダークサイドな文ですが、別に何も悩んでいませんのでご安心を。

ただ単に、昨日新採研修が終わったので、今日から普段どおりの生活となったわけで、つまりは同期仲間が近くにいないという理由で、なんだかほんのり寂しいなぁ、ということです。

 

僕の勤め先は、部署がいろいろ分かれているので、なかなか同期に会う機会がないんです。

 

やはり同期のつながりというのは非常に大きくて、エモイワレヌ仲間意識があります。だから、その集団から離れて仕事をしていると「ああ、青春も終わったなぁ…」という妙な寂寥感を覚えます。

 

 

 

昨夜、研修が終わってから寮に行きました。そこで、同期の子と卓球をしていました。その子をST君としましょう。

 

楽しく運動をしているところなのに、神は無情な試練を与えたのです。

 

 

結果からいいますと、ST君は、足の骨にひびがはいりました。

 

 

どういう状況だったかを言います。

 

卓球台は寮の玄関付近に設置されておりまして、玄関から卓球台の間には3段の階段があります。だから、そこで卓球をしていると、しばしば玄関までボールが落ちます。

 

もうなんとなくお気づきのこととおもいますけれど、彼は玄関に落ちたボールを拾いにいこうとして、階段で滑ったのです。

 

 

最初はみんな爆笑していました。ちょっと足をひねっただけだと思ったから。

 

それがしばらくしても痛がっているんですね。

 

動けないようなんですね。

 

とりあえず、氷をあてがいました。

 

しかし、痛み収まらず。

 

 

結局、別の友達SB君とI君がその子を病院に連れて行きました。それが夜の12時ごろの話。僕は彼を見送った後、また別の友達Y君に家まで送ってもらったので、どうなったかわかりませんでした。

 

今日、電話してみると「ひびが入っていた」とのこと。

 

 

うーむ…なんてこった…。

 

そんなわけで今日も寮に行ってきます。お見舞いだお見舞い。

 

なんだか人がいっぱい出てきたので整理。

 

現在寮に住んでいる人:ST君、I君(もともとは彼らに加え、SB君、僕の4人でしたが、我々は4月で離脱いたしました)

よく寮にいく人:SB君、Y君、僕

 

このSB君のことは前にS君として書きました。ただ、骨に亀裂が入ったのもイニシャルがS君なので区別するためにこう表記いたしました。

 

…まあ、読んでいる人にとっては僕の友達関係なんてどうでもいいと思いますけれど。

 

 

今日はそういう報告をしてみました。

 

……本当にどうでもいい話でしたねぇ…しまったしまった。これを読んでいる人でST君やSB君といった連中に面識があるのはS嬢だけですものねぇ…。

 

 

……

 

……

 

チャオ。

She's a Killer Queeeeeeeeeeeeeen!!!

彼女はキラークイーン

まるで火薬、ゼラチン爆弾

はたまたレーザービームのダイナマイトさ

いつでも君の心を吹き飛ばすよ

 

そのうえ値段もおてごろだから

君の性欲を満たしてみては?

 

 

 

どうも。通り名「キラーキング」のy-yです。

後半の和訳があっているのやらわかりませんが、気にしないでください。イメージですイメージ。

 

最近クイーンがブームですね。…もしかしてもう終わったかな?

 

 

まあいいや。僕はクイーンが好きです。

ビコーズ アイ ライク JOJO

 

ちょうど僕が小学校高学年か中学生のころ、そのころ全盛期だった少年ジャンプにおいてJOJOは第4部をやっていました。

 

その第4部の敵役が使うスタンドが「キラークイーン」だったわけです。

 

 

そして時は流れ、高校生になった僕はJOJOにおけるスタンド名が、バンド名か曲名からとられている、ということに気づきました。

 

そうなると一度ぐらい聴いてみたいと思うのが人情です。

 

 

それで聴いてみてクイーンが好きになりました。それだけの話。

 

 

 

なんといいますか、今現在僕が洋楽を好きなのはJOJOによる影響が大きいと思います。

 

洋楽を聴いていると英語も多少はマシになります。

 

あ、いや違う。うそだうそだ。

 

洋楽を歌っていると多少マシになります。

 

僕は好きな曲をソラで歌えるようになるまで練習します。

なぜかって?

 

そりゃあ僕のステージっていうのは道端や車内が多いですから。頻繁にカラオケに行くわけでもないので、歌詞を覚えておかないと鼻歌になってしまうのです。それはプライドが許さない。

 

だから一応覚えます。英語の歌詞は多少意味も調べます。

 

だって意味も知らないで歌っていて、こっそり聴かれていたら困るじゃないですか。警察の前とかでプロテスタントな歌とか、アベックの近くで別れの歌だとか、公衆の面前でいやらしい歌だとか。

 

そんなこんなで、歌詞に出てくる単語を調べます。で、ほんのちょっと知識が増えるという寸法です。

 

 

 

やはり人生日々学習ですね。

 

 

 

今僕は卓球とバレーの技術を磨きながら危険物の勉強をしています。

こうした研鑽がいつか役に立てばいいのだけれど。

 

 

それより「キラークイーン」を聴いていて、村上春樹の小説に出てくる「キキ」を思い出したのは僕だけでしょうか?

 

 

 

厄介ごとを避けるために

彼女はあちこちを転々としている

しかし会話のときなんて

まるで男爵夫人のように上品な口ぶりさ

 

中国人と会うときは

芸者のミナとして知られている

そんな彼女に惹かれるかい?

 

香水はもちろんパリから取り寄せるし

車のこととなるとお熱になる

とっても気難しくて几帳面なんだ

 

彼女はキラークイーン

……

 

 

 

あ、あくまで和訳は適当ですから。